タコスケが、知った風な口をきくブログあるいは頭の悪さを露呈してみるブログ


by takosuke-21

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 「キル・ビル」を観た。先月の話だけど。
 結婚式中に友人や夫やお腹の娘を殺され、自分も殺されかけた元暗殺者が、長い昏睡から覚めて復讐する話。

 自分の中で賛否両論ある不思議な映画。観たときは否だった。だって人が一生懸命観てるのに、おかしな日本語や古くさい映画音楽で水を差すんですもの。頭に来るっつーの。

 この映画を楽しんだという人は、ここで僕の間違いに気づいたはずである。そう、僕はこの映画を真剣に見てしまったのだ。

 冒頭の、復讐対象の一人との対決シーンはとてもかっこいい。殺す現場を見てしまった敵の娘に「待ってるわ」なんて言っちゃうあたり、僕の中にある復讐者の美学(?)に忠実だったりするわけで、そういう映画なのだと思って続きを見た。
 んが、主人公が日本に行ってから雲行きが怪しくなってくる。彼女は沖縄で寿司屋をやっている服部半蔵に刀を造ってもらい、ルーシー・リュー演じる敵役オーレン・イシイのいる東京へ向かう。

 運命の分かれ道はここである。

 彼女は愛刀を携え旅客機に乗る。客席には刀ホルダーも付いている。苦笑している間に東京の街が見えてきた。沖縄から飛んできたなら恐らく行き先は羽田だと思うのだが、彼女の乗る旅客機はビルの谷間を抜けて行く。香港と間違えてないかという光景に圧倒されるが、その高度なら着陸態勢なんじゃなかろうか、という時でも客室内をうろつくスッチーにも注目だ。
 ここでこの「キル・ビル」がどんな映画なのか気づけば、最後まで楽しめたのだろう。僕はバカにされているような気がしてしまった。情けない話だが、その時はそう思っちゃったんだからしょうがない。
 こうなってしまったら何もかもが気に障る。いまいちメリハリに欠ける殺陣にも、ユマ・サーマンとルーシー・リューのへたくそな日本語の会話にも、GOGO夕張にも、すべてにダメ出しだ。そういうわけで後編が観たいなんてちっとも思わなかった。

 勘違いに気づいたのはタランティーノのインタビューを読んだ時である。いわく、「オイラがガキの頃に観たいろんな映画の記憶だけで出来たおとぎの国なのさ!」。
 すべてに納得がいった。そのおとぎの国では日本人はみんな刀を持っていて、一対一の真剣勝負の後には演歌が聞こえてくるのだ。たぶん人口の5割は侍で2割くらいは忍者かもしれない。日本刀を持っている以上、母国語が英語でも日本語で話さなくてはいけないのだろう。これで米国内の旅客機には客席にコルトが常備されている、とかなら文句はない。
 「キル・ビル」はそういう映画だった。虚構で作った虚構なのだ。僕はディズニーランドに行って「ミッキーの中はただの人間じゃないか!」と怒っているのと同じことをしていたのである。ミッキーの中身は人間であることを忘れ、ディズニーランドという夢の国を楽しむ。つっこんでいいのは「ミッキーが自宅のスタジオで撮ってる映画はいつ完成するんですか?」ということくらいだ。ディズニーランドにおけるそういう心構えは僕も持っている。っていうか、かみさんに調教された。
 つまりはそういう姿勢でこの映画を観れば、素直に面白がれるかもしれない。数日してから、もう一回観てみようか、という気になった希有な映画である。



 ただやっぱり、日本在住の日系人の日本語がBOAよりはるかにへたくそってのはいかがなものか。
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by takosuke-21 | 2003-11-09 00:00 | 映画(ネタバレ含)